オグリキャップをもう一度

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ロンシャンの壁なお高く

風光明媚なパリのロンシャン。

その美しさとは裏腹に、ロンシャンのコースは過酷であった。

 

Prix de l'Arc de Triomphe(凱旋門賞)、果敢に挑戦した日本馬三頭は、勝利を収めることができなかった。

日本馬最先着のキセキが7着。ブラストワンピースはブービーの11着。フィエールマンはそこから15馬身離れてのしんがり12着。結果だけ見たら大敗であった。

それでも、海外遠征に挑戦した英断は称えられるべきものであろう。まずは三頭の陣営にはお疲れ様と言いたい。

 

日本馬として初めて凱旋門賞に挑戦したスピードシンボリから半世紀。欧州風の芝のレースを重視する日本競馬界からすると、欧州競馬の芝最高峰ともいえる凱旋門賞は、目標であった。そこには、美しくも過酷な凱旋門賞というレースへの憧れがあったのかもしれないが。

1999年、エルコンドルパサー2着。

もう憧れではない、現実に勝てる所まできた。そう思ってから20年たった。

その間、現役最強馬の挑戦もあった。惜しいレースもあった。

ただ、勝利には至っていない。

 

どうすればよいのか。

 

毎度言われる馬場適正。実際あるだろう。

ただ、血統的にロンシャンの馬場が向かない、ということは、もはや言えない。欧州にいるディープインパクト産駒が活躍し、世界の名牝がディープインパクトの血を求めて種付けしに来ているのだから。

育成法が良くない。そうなのだろうか。

なら、オルフェーヴルは何だったのか。オルフェーヴルだけ特殊な育成法をしたのだろうか。そんなことはないだろう。

日本の高速馬場がいけない。その側面があるのは否めない。日本の馬場で走るときと欧州の馬場で走るときとでは走法が変わるというのだから。

と言っても、気候等で変えることは簡単にいかないだろう。それに、日本の高速馬場は「安全」を追求した結果、副産物としてできたものであるから(という風に造園する人は言っている)。できるだけクリーンに凸凹がなく走りやすい馬場にする。その理念自体は決して批判されるべきものではなく、大事なものであるのは事実なのだから。

 

そもそも、ロンシャンの馬場が向く馬なんてわかるのだろうか。

馬場を欧州風にして育成すれば、凱旋門賞を勝てるようになるのだろうか。

確率は高くなるかもしれない。

ただ、それだけでうまくいくなら苦労はしない。

当たり前だけど、最低限の走力は必要で、そのうえでの適正なのだ。これまでのやり方を変えることは悪くないが、それでだめになってしまうこともあろう。

 

一番可能性が高くなるのは、半年くらい海外遠征をして完全に欧州の馬場に慣れさせることだろう。ディアドラなんて、かなり欧州仕様の走り方になっている。

ただ、長期の海外遠征をした場合、日本に帰ってきた後の検疫に最低3か月はかかる。ということは、凱旋門賞に出た後、ジャパンカップ(あるいは有馬記念)に出るということは不可能だ。走法が欧州仕様になっているとなると、その後日本のレースで活躍できる保証もない。

言うのは簡単だけど、実行するには実はハードルが高い。

本当に勝ちたいのなら、それでもこのやり方で挑戦するという覚悟が必要なのかもしれないが。

 

多くの人が望んでいるのは、日本の芝最強馬が凱旋門賞に出て勝った後に、ジャパンカップないし有馬記念に凱旋出走する、というものなのが実情だ(これは同時に日本で微妙な馬が馬場適正で凱旋門賞を勝ってもあまり喜ばれないということも意味している。その場合でも勝者を称えてもらいたいのだが)。距離、馬場、コースなどでより細分化、専門化している世界の競馬界からすると、かなり実現が難しい願いなのかもしれない。

ただ、エネイブルがジャパンカップに出たら、あっさりと勝ってしまうのではないか、とも思えてしまう。彼女の力なら馬場適正の違いなんて些細なものだと思ってしまうから。

 

やはりやらなければいけないのは、馬場や環境の違いでも対応できる、真に強い馬の育成になるのだろう。

そのためには、挑戦すること、様々な方法を試してみること、試行錯誤して失敗して改善していくしかない。

強い馬をつくるのに近道はなく、ひとつの道しかないわけでもない。正解はなく、道のりは遠いかもしれないし、実はゴール寸前なのかもしれない。

 

強い馬をつくってやるという情熱と覚悟。

ロンシャンの壁を超えるには、やはりそのことが重要なのだろう。

結果的に抽象的で当たり前なことなのかもしれないけど、当たり前なことをするのが一番大事なのだから。