オグリキャップをもう一度

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壮大なる楽劇を奏でたる名馬、逝く

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「福永家にとって悲願でしたから」
福永祐一日本ダービーを始めて勝った時のコメントだ。
天才と呼ばれながら、怪我により若くして騎手人生を絶たれてしまった父福永洋一。その息子として、18回ダービーに挑戦して有力馬に乗りながらも勝てなかった福永祐一
ダービーに対する思いが強いからこそ、このコメントの重みを感じた。
そして、やはりダービーを勝つのは競馬界にとって一番の名誉なんだな、と思ったものである。

この時、福永が乗ってダービーを勝ったのが、ワグネリアンだった。
外枠だしどうなんだろう、という戦前の評価を覆しての勝利。その騎乗は、福永がこれまでダービーで勝てなかった馬たちの教訓と思いが詰まっていたかのように思えた。
今までの馬たちの想いを乗せて、ワグネリアンが「ダービーはこうやって勝つんだよ」と教えていたかのようにも見えた。

 

ワグネリアンでダービーを勝った後、福永は3年でダービーを2度制覇。
コントレイルのダービーは無敗の2冠がかかっていたのにマイラプソディの捲りにも対応して落ち着いて乗ることが出来たのも、ワグネリアンでの勝利があったからだろう。
シャフリヤールで最後に皐月賞馬エフフォーリアを差すことが出来たのも、ワグネリアンでダービーを勝ったからであろう。
ワグネリアンのダービーは、間違いなく今後の日本競馬界を変えるくらいの歴史的レースだった。

 

ヘンリーバローズとの伝説に残る新馬戦。
日本競馬史を変えるダービーでの勝利。
それを思うと、その後の成績はお世辞にもいいとは言えない。
そして、長く現役を続けざるを得なくなった上での今回の死。
栄光のダービー馬がなぜ、と考える人も多いだろう。

ただ、同時に思う。
ワグネリアンは、福永がダービーを勝つために遣わされた馬だったのだと。
福永家の歴史を、日本の競馬界のこれからを、創造していくための馬だったのだと。

ワグネリアンという名は、楽劇王と呼ばれた芸術家ワーグナーを心酔する人々の呼称からとられている。
ワグネリアンが奏でた競走馬生活は、ワーグナーの楽曲のように、日本競馬界に壮大な物語を遺した。
出来れば、母の名のように、もう一度アンコールを聞きたかったが。

 

お悔やみを申し上げます。