オグリキャップをもう一度

競馬好きの行政書士が競馬について気ままに書くブログ 馬主申請の代行も行っております

ご挨拶

初めまして。

当ブログにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。

オグリキャップをもう一度」の管理人である、野田洋平と申します。

品川区の五反田にある「野田洋平行政書士事務所 」で行政書士をやっております。

主な業務として、法人設立や相続・遺言関連、補助金申請の手助けなどを手がけております。

それに加えて、最近は、馬主申請の代行もしております。

競馬好きなら、やはり馬主には憧れるもの。競馬好きとして、そのお手伝いが出来たら、と思っております。

 

まあ、そんな商売のお話は置いといて(置いておくのか)、なんでこのようなブログを開設したかについて、話します。

 

オグリキャップをもう一度」

オグリキャップ。昭和の最後~平成の初めに活躍した「芦毛の怪物」。地方競馬笠松競馬場でデビューし、12戦10勝の成績を引っ提げて4歳(現在の馬齢表記では3歳)時に中央競馬入り。そこから重賞6連勝を果たし、その後もタマモクロススーパークリークイナリワンヤエノムテキバンブーメモリーなどのライバルと数多くの名勝負を演じた馬。

2着に敗れたとはいえ、1着馬ホーリックスと同タイムで当時の2400mの世界レコード、2分22秒2で駆け抜けたジャパンカップは、今でも語り草となっている。

そして、何より、引退レースとなった有馬記念。不振に陥ったオグリキャップの復活劇。当時、18万人を集めた中山競馬場では、割れんばかりのオグリコールがこだました。

ぬいぐるみも販売され、たくさん売れた、日本競馬史上ナンバー1のアイドルホース。

それが、オグリキャップ

そして、私も、オグリキャップに魅了されて、競馬好きになった(小学生時代というのは内緒だ)。

血統は決して一流とは言えない(母ホワイトナルビーは優秀であるが)。生まれたときは、中央競馬のクラシックの登録もされず、そこまで期待されていなかった。そんな馬が、大レースをいくつも勝ち、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。おそらく、日本競馬史上、最も競馬が熱かった時代。

そんなオグリキャップに魅了された人であるから、もう一度、競馬が熱かった時代を蘇らせたい。

決して今の競馬がつまらないと言っているわけではない。社台グループの生産努力、世界のトップジョッキーが集まる環境、それらによって、日本競馬界は、世界でもトップレベルになったといっても間違いではない。

それでも、一頃よりは良くなったとはいえ、オグリキャップの時代に比べて競馬人口は減っている。

だからこそ、「オグリキャップをもう一度」なのである。

決して一流の血統ではないところからオグリキャップが生まれたように、社台グループ以外からでも世界に通じる名馬をつくりたい。

そんな名馬が生まれたら、もう一度名馬人口が増えるのではないか。

そして、日本に文化として競馬が位置付けられるのではないか。

そんなことを願いながら、このブログを書いていこうと思います。

 

オグリキャップのような名馬の馬主に、私が申請した人がなったら最高なんですけどね(笑)

 

というわけで、今後ともよろしくお願いします。

 

 

新年のごあいさつと提言めいたもの

あけましておめでとうございます
本年も当ブログをよろしくお願いいたします

 

昨年は思うように記事を書くことができませんでしたが、今年は様々なことを発信していけたらと思います。

 

さて、今年最初のブログ。
間違いなく、今年、来年は日本競馬界にとって大きく変わる一年になります。それは、地方とJRAでの統一したダートクラシック路線の2歳戦が始まるから。
地方競馬好きとしては、この改革自体、正直心から喜べるものではありません。
他方で地方競馬関係者や地方競馬のみの馬主にとってチャンスとなる可能性もあります。賞金の高いレースが増えるのですから。
ただ、この改革が成功するには、そして、地方競馬関係者がチャンスをつかむには、まだまだ課題が山積みでもあります。
ということで、今回は新年一発目として提言めいたブログを書こうと思います。1月1日の社説みたいな感じですかね。
しばらくお付き合いください。

 

JRAとNARの統一的なダートクラシック路線設立と、ダート路線全体の再編成。これの主目的は、地方交流重賞の国際格付け化にあります。すなわち、数年後のJpn格付けの廃止です。
現状、地方交流重賞は、国内でこそ重賞扱いですが、世界的には東京大賞典以外制限付きリステッド競走扱いです。そうすると、国際的には日本のダート競走の評価はなかなか高くなりません。
そこで、地方交流重賞の国際格付けをすることで、日本のダート競馬全体の評価を上げようということです。
とはいえ、国際格付けを得るのも簡単ではありません。レーティングなどの問題があります。
また、レーティングを上げるにもレースのレベルを向上しなければいけない等課題があります。レースレベルを上げるには、ただJRAの強豪馬が出るだけでは意味がなく、地方からもJRAの強豪と互角に渡り合える馬が複数出走しないといけません。
人の技術ではJRA以上の地方競馬ですが、いかんせん施設の充実度ではJRAに敵いません。賞金もJRAの方が圧倒的に高いです。
そのため、素質があると思われる馬はまずJRAに入厩してしまいます。年間生まれる馬の半数以上がJRAに入厩し、そこから漏れた馬が地方競馬に行くというのが現実です。例外はあるにせよ。
だから、競馬法を改正して、JRAの売り上げの一部を地方競馬の施設拡充に使えるようにしたわけです。

賞金を上げ、施設が良くなれば、素質のある馬も地方競馬に入る。これによって強い地方馬が生まれやすくなり、ダートグレード競走のレベルも上がり、地方競馬が盛り上がり、売り上げも賞金も上がり、そこで地方馬が勝って高額賞金を得る。その好循環を繰り返して地方競馬界全体に広める。理想はこのサイクルです。そうなれば、地方競馬好きの自分にとってもいい改革になったと思うわけです。
そうなればいいんですけど、課題はやはりあります。

まずは、地方競馬で強い馬を育成するにはある程度の素質馬を入厩させないといけないのですけど、実際は馬房がいっぱいであること。
先ほど生産された馬の半数以上がまずJRAに入厩すると書きましたが、地方競馬への転入等で実は地方競馬に入厩させるのも簡単ではないという実情があります。
ならば馬房を増やせばいいではないか、施設拡充する資金は出るのだからそれで拡充すればいいではないか、と思われるかもしれません。場所と施設に関しては、どうにかなるかもしれません。
しかし、もう一つ足りないのがあります。それは、人手です。地方競馬では騎手や厩務員等全体的に人材が減少しています。馬房を増やしても、世話をすることができる人がいなければ無意味です。そして、現在馬業界全体で人手不足になりつつある状況となっています。

理由はいろいろあると思います。危険が伴う体力的にもきつい肉体労働。金銭的な問題。休みが取りにくい労働環境。特殊な馬社会での人間関係等々。ここを解決しなければ、結局人手がいる一部大手が新たに賞金を稼ぐ場を見つけただけにすぎないことになります。
地方競馬間でのレベル差、環境の差もあります。
また、レベルが上がることによって、今までいた安くて競走能力はそれほどない馬を入厩させにくくなって、却ってコストが低いから地方競馬の馬主になっていた人が遠ざかる可能性もあります。
結果的に、地方競馬全体が、単なるJRAの下部組織になってしまう可能性もあります。
そうならないために地方競馬関係者が知恵を出し合っていいアイデアを、魅力ある競馬づくりを実行しないといけないのですが、正直上から決められたことをさせられている感じしかしないのが残念です(現場は頑張っていますが)。

そして、上記課題は、地方競馬のみならず、JRA、いや、日本競馬界全体にも関わることです。
特に、人手不足。この問題をどうにかしないと、日本競馬界は緩やかに衰退していくと思います。

だから、自分としては、今後馬と触れ合いやすい社会にし、より日本に馬を扱うことができる人を増やす、労働条件等契約面でサポートする、海外から質のいい人材を紹介する等々、競馬に関する業務をおこなっている行政書士としてできることをしていきます。

馬と人にとってより良い社会になるために。

競馬は難しい。から、

競馬って難しい。
と書くと、馬券が当たらないから難しい、と思う人も多いだろう。
確かに、ギャンブルの観点からも、競馬は難しい。実際、8日からの三連休、自分は当たらなかったし。

ただ、今回競馬は難しいと感じたのは、ギャンブルの話ではない。馬という、人とは異なる生き物を扱うことについてである。

 

毎日王冠は、レッドベルオーブの逃げで進んだ。
ただ、その逃げは、暴走しそうな馬を必死になだめる形でのものだった。
結果的にレッドベルオーブはスタミナをロスし、大敗。この騎乗には、前走の伏線となった逃げ切り勝ちも含めて、いろいろな意見が噴出している。
毎日王冠の前走、小倉日経オープンを大逃げで逃げ切ったレッドベルオーブ。怪我もあった素質馬の嬉しい久しぶりの勝利であったが、このレースぶりには批判もあった。すなわち、これまでは気性的に難しいレッドベルオーブをなだめるよう勉強させながらレースをしていたのに、今回の逃げで今までの苦労が無駄になってしまった、と。
気性面で問題がある馬が、抑える勉強をしていたのに、矯正途上で一転自由に逃げさせたら、もう抑えることなどできなくなる。
だから、レッドベルオーブはもう自由に逃げるしか選択肢がなくなってしまった。

馬も人も、互いに何となく状況を知らせることはできる。
ただ、お互い違う生き物だ。人同士でさえ意思の疎通は誤解等招くことがあるのだから、馬と人とではすべて理解させて教え込むというのは無理だ。
長く教えて積み上げたものを崩すのは、ほんの一瞬。
そこに、競馬の難しさがある。

とはいえ、逃げの選択を責めるのも酷だ。
競馬は「次勝てる」と思っても、怪我等でその「次」がないこともある。勝てるときに勝てないと、もう勝利の女神に見放されることなんてざらにある。
だから、とにかく勝てるレースをしよう。
少なくとも勝った方が未来はある。崩れた先に別の未来があるかもしれないのだし。

勝ったサリオスは、一度崩れた馬だと思っていた。
それが、完全に立ち直った。
サリオスを復活させた陣営の努力は並大抵のことではなかったと思う。馬を扱うのが難しいのだから。
やはり競馬は難しい。
だからこそ、勝利の味は格別なのかもしれない。

彼女はロンシャンの芝を飛ぶように駆け抜けた

なんて軽やかに走っているのだろう。ロンシャンの芝は重いはずなのに。
凱旋門賞の直線を見て思った。
力強く割ってやってきたヴァデニ。外からは「猛然と」という言葉がふさわしいように追い込んでくる前年覇者トルカータータッソ。
そんな重い馬場に抵抗するかのようにやってくる馬とは対照的に、勝ったアルピニスタは、軽やかに、まるでスキップしているかのようにゴール板を駆け抜けていた。
速い。強い。そして、美しい。

アルピニスタを管理するプレスコ師曰く「操縦性も良く、重い馬場も不問」というオールマイティーさ。近親を見れば、欧州での活躍馬が並ぶ良血でもある。
その牝系を辿れば、Mumtaz Mahalの名があらわれる。NasrullahやMahmoudの祖母、Royal Chargerの曾祖母であり、自身も「Flying Filly」と呼ばれた快速牝馬である。現代の競馬で最もスピードを伝えている血といっても過言ではない。
その直系はいまでも活躍馬を輩出しており、欧州では凱旋門賞を勝ったZarkava、日本でもホクトベガスマートファルコンなどがいる。
このように書くと、快速牝馬、スピードを伝える血でありながら、代を経るとスタミナやパワーを持った馬が多くなっているようにも思える。おそらくスピードを基盤とした上で、スタミナやパワーといった要素も代々重ねられていったからであろう。
ちなみに、実はタイトルホルダーもこの牝系。今回は残念だったが、スピードとスタミナを兼ね備えた馬である評価に変わるところはない。

雨のロンシャン

レース直前。
振り出した大雨に
「今年も厳しいか」
と思ってしまった人は多いかもしれない。
凱旋門賞ロンシャン競馬場
フランスの美しき風景とは裏腹に、過酷なレースが繰り広げられる。
沈み込むような土壌。脚に絡みつく草根。降雨により重たさを増す馬場。そして、高低差の激しいコース。
結果的に、挑戦した日本馬4頭は、大敗を喫してしまった。

 

そうなると、毎回SNS等で見られるのが、凱旋門賞の馬場適性論。
確かに、ロンシャン競馬場改修後で馬場はさらに重くなったようにも思える。自然任せで、走りやすさなどない。より安全で走りやすくといった日本の芝コースとは正反対の方向の馬場ともいえる。
だから、日本で強い馬ではなく、馬場適性のある馬で挑戦すべきだ、と。

ただ、最低限の走力は必要だ。
そしてなにより、馬場適性があるなんて誰がわかるというのだ。
例えば、凱旋門賞のあとにおこなわるフォレ賞で二年連続3着だったエントシャイデン。彼の血統を見て、ロンシャンの芝の馬場適性があるなんて思う人はいないだろう。
骨格やフォーム含めての適性であるのは間違いないが、そのためには実際走ってみないとわからない(見ればある程度はわかるかもしれないけど)。
さらに、日本とフランスの気候や土壌が違う以上、ロンシャンの馬場に向くためのフォームを日本で作り上げるのはほぼ不可能に近く、それでもつくりあげようというのは、かえって馬に無理な負担をかけてしまうことになる。
なら欧州で長く走らせて、というのが一番現実的だが、莫大な費用がかかるのも事実だ。フォームが変わることによるデメリットだってある。
だから、挑戦し続けるしかない。

 

よく見られる「ダート馬を連れて行け」という言説には批判も多いが、個人的には「ダート馬を連れていけ」はともかく、「ダートでも芝でも強い馬を連れていけ」は正しいと思う(クリンチャーでそれは正しくないという人はいるが、そもそもクリンチャーは当時能力を発揮できる状態ではなかった)。エルコンドルパサーはデビューからダートで圧勝していたし、オルフェーヴルは産駒実績で隠れたダート適性があったと示している。
芝やダートなんて関係ない、どんな馬場でも走れるくらい強い馬を生産しよう、ということだ。
そこには適応力も含まれよう。過酷な坂にも耐えられるスタミナも必要だ。
挑戦して努力して、そういった馬をつくりだしていけばいい。

 

まとまりなく書いていったが、さらにまとまらずにもう少し。
馬場適性の話は書いたけど、おそらく多くの人が思うロンシャンに向く馬というのは、トルカータータッソなのだと思う。それは間違いないのは事実だ。今年も重い馬場をなんのそのという感じで追い込んできたのだから。
ただ、勝ったアルピニスタはそれ以上だったと思う。本当に重い馬場なのかと思うくらい、彼女は軽やかに走っていた。
だから、本当に適性があるというのは、アルピニスタのような馬なのかもしれない。
また、ジャパンカップでも凱旋門賞でも5着だったグランドグローリーだっている。
単純な「適性」だけでは片づけられない要素はいろいろとあるような気がしてならないが、それを書くとまとめきれないので割愛。

 

強い馬をつくる。
その理想を掲げて努力し続ける以外、凱旋門賞を勝つ道はないと思う。
その道のりは遠いかもしれないけど、案外近いかもしれない。
アメリカのダートG1を日本馬が勝てたように。

船橋から世界へと通ずる道

船橋競馬場の馬房で生まれた馬がアメリカ遠征をした。それも、ワシントンインターナショナルというビッグレースに。
昔見た競馬の本にそんなことが書いてあって、驚いた記憶がある。
その馬の名はタカマガハラ。
生まれは長野県の霧ケ峰牧場となっているが、当時の船橋競馬場で競走馬が不足していたので、タカマガハラの母クモゼキはタカマガハラを受胎していた状態で船橋競馬場で走っていたというのである。そのため、実際は船橋競馬場の馬房で生まれたというのだ。

タカマガハラは1959年川崎競馬場でデビュー。
しかし、3歳時(当時の馬齢表記。現在の馬齢表記では2歳)はオンスロートに負けてばかりの成績だった。
4歳となってJRAに移籍し、日本ダービーにも出たものの10着。その後も4歳時は1勝のみの大した成績をあげられなかった。
それが、5歳になって変貌。重賞を勝ち、天皇賞(秋)ではJRA入りしてきたオンスロート相手に優勝。有馬記念でもオンスロートに先着しての2着と、日本でも有数の名馬となった。
そして6歳時にワシントンインターナショナルへ挑戦。10着に負けたものの、当時戦後から高度経済成長と突き進んでいた日本の時代背景そのままに、船橋競馬場の馬房からアメリカの国際レースに挑戦できるんだという夢を抱かせてくれるものだった。

 

その後、日本の競馬界は世界に通ずる馬をつくろうと努力し、世界のビッグレースへの挑戦は続いていった。
1990年代後半にもなると、海外の主要レースで勝負になる日本調教馬が次々と生まれるようになる。
ただ、そのほとんどはJRAで調教された馬。
費用も考えると地方調教馬が海外へ挑戦するのは困難であるのは間違いなかった。
そんな中、ドバイワールドカップに挑戦した地方馬がいた。アジュディミツオーである。
アジュディミツオー船橋競馬の名伯楽・川島正行師が調教した馬。当時日本のダート界最強馬の誇りを胸に挑戦し、6着となった。
船橋競馬からだって世界と互角に渡り合える馬はつくれる。ミツオーの挑戦は当時南関競馬ファンだった自分としては頼もしく思えた。

 

もうすぐ、今年のケンタッキーダービーが始まる。
今年は日本からクラウンプライドが出走する。
クラウンプライドはJRA調教馬であるが、その血統は船橋競馬に大きくかかわりのあるものだ。
祖母エミーズスマイル船橋競馬場の出川龍一厩舎にも所属していた馬。船橋競馬所属でありながらアネモネSに勝ちJRA桜花賞にも出走した馬である。
クラウンプライドの母エミーズプライドもまた船橋競馬所属の馬であった。所属先は、アジュディミツオーを手掛けた川島正行師の息子である川島正一師。
クラウンプライドには船橋から様々な挑戦をした人たちの血が流れている。

今年のケンタッキーダービーはハイレベルの混戦だ。
だが、日本のダート界もレベルアップしている。特に今年の3歳勢はこれまでのレースを見るとレベルが高いように思える。
それに、昨年のBCディスタフではマルシュロレーヌが歴史的偉業を成し遂げた。
クラウンプライドがケンタッキーダービーを勝つ可能性は決してないわけではない。
船橋競馬所縁の血が世界で羽ばたく。
やはり南関東競馬好きの自分としては、そんな夢のような瞬間も見てみたい。

東京の二千に咲いたムテキの舞い

本日4月11日はヤエノムテキの誕生日。
オグリキャップで本格的に競馬を知ることとなった自分にとって、同世代のヤエノムテキはまた思い出に残る馬の一頭でもあります。
また、今週末はヤエノムテキが勝った皐月賞も行われます。
ということで、今日はヤエノムテキについて書いてみます。

 

四白流星に輝くような金色の派手な馬体。闘志あふれる気性。そして、能力からも、ヤエノムテキは歴史に残るスターホースになる可能性があった馬でした。
ただ、ヤエノムテキの成績を見て「善戦マン」だの「脇役」だの言う人もいます。個人的にはヤエノムテキをこのように言うことに躊躇いしかありません。何しろ、時代が凄かったのですから。
ヤエノムテキが走ったのは、年号が昭和から平成へと変わる前後の数年。この数年は、日本競馬史上一番の盛り上がりを見せた時期でもありました。
その中心にいたのが、日本競馬史上最大のアイドルホースであるオグリキャップ
そこに、スーパークリークイナリワンタマモクロスサッカーボーイバンブーメモリーメジロアルダンなどなど実力馬がたくさん揃い、見応えのあるレースを繰り広げていました。
そして、間違いなくヤエノムテキもこの時代の主役の一頭でした。
その証明が、2度G1を勝った府中芝2000mでの走りだったと思います。

ヤエノムテキは、宮村牧場という小さな牧場で生まれました。
その小さな宮村牧場を支えていたのが、ヤエノムテキの祖母であるフジコウという繁殖牝馬。仔出しが良いうえに、堅実に走る馬を多く生むことで宮村牧場の功労馬となりました。そのため、宮村牧場の生産者宮村岩雄氏はフジコウの馬主である藤木幸太郎氏(「ハマのドン」藤木幸夫さんの父親)を恩人と慕い、藤木氏が亡くなってからもずっとフジコウの血統を大事にしてきたのです。
周りから「そんな血統は古い」と言われながら大事に守ってきたフジコウの血。フジコウの仔でありヤエノムテキの母となるツルミスターに、ツルミスターもヤエノムテキも手掛けることになる調教師荻野光男師のアドバイスヤマニンスキーをつけて生まれたのがヤエノムテキでした。
牧場では大柄なうえに牝馬の後ろを付け回したり他馬にちょっかいを出したりするなどかなりヤンチャであったため、一頭だけ離して育てられたヤエノムテキ。問題児ではありましたが、ヤンチャさを上手に競走能力へ転化できればむしろ強い馬になるのが競馬というもの。能力はかなりものがあると見られていました。特に荻野師はクラシックも狙えると考えていて、ヤエノムテキに期待を寄せていました。
ただ、気性難に加え、大型馬の若駒時にありがちな緩さもあり、デビューできたのが4歳(当時の馬齢表記。現在の馬齢表記でいう3歳)の2月。春のクラシックを狙うには絶望ともいえる時期でのスタートでした。
デビュー戦は7馬身差の圧勝。2戦目は何と12馬身差をつけての勝利。
やはりヤエノムテキは強い。自分の目に狂いはなかったと確信した荻野師は、距離適性からクラシックで一番向いているのは皐月賞と考え、クラシックの1冠目皐月賞を確実に出られるようにするため、連闘で毎日杯に出走する道を選びました。
その毎日杯で対戦したのが、オグリキャップ。結果的にヤエノムテキオグリキャップの4着に敗れます。
それでも抽選を通過し皐月賞に出走することが出来たヤエノムテキ皐月賞では直線抜け出し、見事にクラシック1冠目を制するのです。
ただ、毎日杯ヤエノムテキに土をつけたオグリキャップはクラシックへの事前登録がなく、当時の規定によりクラシックには出走することが出来ませんでした。そのため「この世代の真の王者はオグリキャップではないのか」や「オグリキャップがクラシックに出られれば」といった空気が生じてしまいました。これがこの世代のクラシック戦線における悲劇でもありますが、同時にドラマ性を持って語られることにもなります。

皐月賞を制したヤエノムテキのその後は、中距離を中心に活躍。途中調整ミス等で不振の時期もありましたが、掲示板を外したのはいずれもG1レースであったことを考えれば、皐月賞馬の名に恥じない走りをしていたと思います。
ただ、大一番には勝てない。オグリキャップが史上空前の競馬ブームを巻き起こし、スーパークリークがデビューしたての天才ジョッキー武豊を背にオグリキャップと鎬を削っていた中で、ヤエノムテキはその少し後ろにいてなかなかビッグタイトルを勝てないでいました。
6歳春となって主戦騎手を西浦から当時リーディングジョッキーだった岡部に替えたものの、安田記念は2着、宝塚記念は3着。やはりあと一歩のところで勝てないままでした。

夏を越して6歳秋。ヤエノムテキは初戦を天皇賞(秋)と定めました。
この天皇賞(秋)。当初岡部はヤエノムテキではなく、ヤエノムテキと同期のメジロアルダンに乗ると思われていました。
しかし、名手が選んだのはヤエノムテキ。それは「ヤエノムテキの方がより天皇賞(秋)を勝てる」と考えたからに他なりません。
そして、名手の選択は見事に実を結びます。ヤエノムテキは直線早めに抜け出し、メジロアルダンをアタマ差退けて2つ目のG1タイトルを手にするのです。
この天皇賞(秋)にはオグリキャップ(6着)も出走していました。いくらオグリキャップが調整不足であったにせよ、勝ったのは事実。ヤエノムテキが勝った皐月賞は、中山競馬場改修のため、天皇賞(秋)と同じ府中芝2000mで開催されたので、この勝利で「オグリキャップ皐月賞等クラシックに出ていたら」という声に対して「府中芝2000mならわからないよ」と切り返せることにもなりました。
ヤエノムテキは自分の走りでこの世代の主役の一頭であったことを証明したのです。
この2度の府中芝2000mでのG1勝利でついたキャッチコピーがJRAヒーロー列伝での「東京の二千に咲いたムテキの舞い」。
まさしくヤエノムテキは府中芝2000mなら無敵の馬でもありました。

ラストランとなった有馬記念では放馬し、オグリキャップの復活劇に花を添えてしまうかたちとなってしまいましたが、改めて思えばヤンチャなヤエノムテキらしい最後だったのかもしれません。
また、仔馬時代から牝馬の後ろをついて回っていたヤエノムテキですが、同期の牝馬シヨノロマンに対しては見かけたら立ち止まってじっと見つめる片思いエピソードなんてものもありました。
同期のライバルの陰に隠れるなんて言われることもあるヤエノムテキですが、成績やエピソード等からも非常に魅力あふれる名馬なのです。
現役時からヤエノムテキを応援していた人としては、よりヤエノムテキが評価されるようになれば、と思います。

受け継がれるキングの血

報知グランプリカップはギガキングが好位から抜け出し完勝しました。
これでギガキングは船橋コースで4戦4勝。
以前当ブログでも書きましたが、ギガキングはオメガパフュームと同じセイリングビューティ牝系出身。オメガパフュームが右回りを得意とするのに対し、ギガキングは左回りの船橋を得意としているのは面白いところです。

keiba-gyoseisyoshi.hatenablog.com

 

今回は、ギガキングの牝系以外についても考察してようというのがテーマです。
目につくのが、母ウルフコールがHail to Reason(Halo、Roberto)+Lyphard同士で成り立っていること。
そこにキングヘイローLyphardHail to Reason(Halo)を重ねて継続しているのが特徴的です。
別のブログでも書いたのですが、最近キングヘイローの戸を持った馬が活躍しています。キングヘイロー凱旋門史上最強の勝ち方をしたダンシングブレーヴに、アメリカの名牝グッバイヘイローをかけ合わせて生まれた良血馬。サンデーサイレンスを持っていないけどHail to Reasonの血があることから、サンデーサイレンスを薄めつつ効果的に使えるということで重宝されているのでしょう。
そして、純粋に良血であるのが最近の活躍につながっているのでしょう。

ameblo.jp

ギガキングの場合は、ダンシングブレーヴLyphardグッバイヘイローがHaloの血を持つことから、双方の力を継続的なインブリーディングで効果的に発揮させている、と言えるのかもしれません。
さらに強くなって、名前の通り、ギガ級のキングになるような活躍を見せてもらいたいです。