ご挨拶
初めまして。
当ブログにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。
「オグリキャップをもう一度」の管理人である、野田洋平と申します。
品川区の五反田にある「野田洋平行政書士事務所 」で行政書士をやっております。
主な業務として、法人設立や相続・遺言関連、補助金申請の手助け、スポーツビジネスなどを手がけております。
それに加えて、最近は、馬主申請の代行もしております。
競馬好きなら、やはり馬主には憧れるもの。競馬好きとして、そのお手伝いが出来たら、と思っております。
まあ、そんな商売のお話は置いといて(置いておくのか)、なんでこのようなブログを開設したかについて、お話します。
「オグリキャップをもう一度」
オグリキャップ。昭和の最後~平成の初めに活躍した「芦毛の怪物」。地方競馬の笠松競馬場でデビューし、12戦10勝の成績を引っ提げて4歳(現在の馬齢表記では3歳)時に中央競馬入り。そこから重賞6連勝を果たし、その後もタマモクロス、スーパークリーク、イナリワン、ヤエノムテキ、バンブーメモリーなどのライバルと数多くの名勝負を演じた馬。
2着に敗れたとはいえ、1着馬ホーリックスと同タイムで当時の2400mの世界レコード、2分22秒2で駆け抜けたジャパンカップは、今でも語り草となっています。
そして、何より、引退レースとなった有馬記念。不振に陥ったオグリキャップの復活劇。当時、18万人を集めた中山競馬場では、割れんばかりのオグリコールがこだましました。
ぬいぐるみも販売され、老若男女が購入してたくさん売れた、日本競馬史上ナンバー1のアイドルホース。
それが、オグリキャップ。
そして、私も、オグリキャップに魅了されて、競馬好きになったひとりです(小学生時代というのは内緒だ)。
血統は決して一流とは言えないかもしれません(母ホワイトナルビーは優秀であるが)。生まれたときは、中央競馬のクラシックの登録もされず、そこまで期待されていませんでした。そんな馬が、大レースをいくつも勝ち、日本中を熱狂の渦に巻き込んだのです。おそらく、日本競馬史上、最も競馬が熱かった時代。
そんなオグリキャップに魅了された人であるから、もう一度、競馬が熱かった時代を蘇らせたい。
決して今の競馬がつまらないと言っているわけではありません。社台グループの生産努力、世界のトップジョッキーが集まる環境、それらによって、日本競馬界は、世界でもトップレベルになったといっても間違いではないでしょう。
それでも、一頃よりは良くなったとはいえ、オグリキャップの時代に比べて競馬人口は減っています。
だからこそ、「オグリキャップをもう一度」なのです。
決して一流の血統ではないところからオグリキャップが生まれたように、社台グループ以外からでも世界に通じる名馬をつくりたい。そんな名馬が生まれたら、もう一度名馬人口が増えるのではないでしょうか。
そして、日本に文化として競馬が位置付けられるのではないでしょうか。
そんなことを願いながら、このブログを書いていこうと思います。
オグリキャップのような名馬の馬主に、私が申請した人がなったら最高なんですけどね(笑)
というわけで、今後ともよろしくお願いします。
ウマくいく一年に
あけましておめでとうございます。
今年は午年です。すなわち、競馬の年。
昨年の競馬界は、競走馬の活躍やドラマの影響などで大いに盛り上がりました。
それが、午年になるわけですから、もっと盛り上がることでしょう。
競馬界を、そして馬にかかわる様々な分野を、より良くしていけるようにできればと思います。
私事になりますが、元日から出資馬が走りました。
結果は4着でしたが、先につながりそうな走りでした。
元日から出資馬が走ってくれると、結果はどうあれ嬉しくなりますね。
改めまして、今年は午年。
皆様にとってウマくいく一年になることを祈念いたします。
本年もよろしくお願いいたします。
今年を振り返って
木々が黄色くなり、街が金色に彩られ、カレンダーの枚数が残り1枚になっていって、気がついたら大みそかになっていました。
歳を重ねると、年々月日が過ぎ去るのが早く感じる半面、年末という感じが薄れていくのですが、メディア等で今年を振り返っていたり、年末の特番が流れていたりすると、やはり今年も終わるのだな、と感じさせます。
今年を振り返ってみますと、自分の中で大きかったのは、ポッドキャストを始めたことかと思います(https://open.spotify.com/show/4ThtqFLXCYkxZOrltnrbbv?si=9b36fd00eb274a29)。競馬について緩く語っているので、年末年始のお時間があるときにでも聞いていただければと思います。
あまり宣伝もしていないので、だれか聞いているのかなと思っていたのですが、送られてくる再生数等を見ると、意外にも聞かれていて、なんだか嬉しく思います。
来年もゆるっと続けていくのが目標ですね。
他に個人的な競馬の出来事では、初めて金沢競馬に行きました。
スタンド等寂れてはいるところもありますが、名物の「玉寿司」含めて思った以上に楽しめました。
地方競馬好きと言いながら、南関東以外はあまり行く機会がなかったので、来年以降は様々なところに行ければと思います。
競馬界では、やはりフォーエバーヤングのブリーダーズカップクラシック制覇でしょうか。日本競馬史に遺る大偉業ですからね。
世界の高額賞金レースはダートが多くなりましたし、地方競馬所属のディクテオンがフォーエバーヤングと接戦をしたミッキーファイト相手に東京大賞典を勝ちましたし、地方競馬から世界へというのも決して夢物語ではなくなってきています。
日本の競馬の底上げのためにも、今度は地方競馬生え抜きでもJRA所属の強豪相手に勝てるよう努力を続けるのが大事だと思います。
一般層への普及という意味では、ドラマ「ザ・ロイヤルファミリー」の影響も大きかったと思います。
玉置浩二さんが歌う「ファンファーレ」も名曲。
競馬に興味がなかった人でも感動したという声をよく聞きます。
来年は午年。
より競馬に興味を持ってくれる人が増え、競馬界がウマくいくようになってくれればと思います。
そして神はダートから去った
的場文男騎手が引退した。
晩年いろいろあったが、それでも日本歴代最多の7424勝という記録が色あせることはない。
石崎隆之、桑島孝春、佐々木竹見など、名手との名勝負は忘れることはない。「的場ダンス」と呼ばれる猛烈な追い方で数多くの馬を勝利に導いたのも、忘れることはない。
「大井の帝王」と呼ばれることもあったが、帝王なんてものではない。個人的に的場文男騎手は「神」であった。
3月24日からの大井競馬は、的場文男騎手引退イベント開催であった。
特に印象的だったのが、その開催の最終レースに的場文男騎手のお手馬を冠したレースが施行されたこと。
ナイキジャガー、カウンテスアップ、ハシルショウグン、コンサートボーイ、ボンネビルレコード……。今回はレース名にならなかったが、マルゼンアデイアルや、ナイキゴージャス、ブルーファミリーなど、まだまだたくさんの名馬に乗っていた。各馬の名レースは今でも思い出すことができる。
自分にとって、的場文男騎手くらいに「凄い」と思わせる騎手は、おそらくもう出ないだろう。
52年という長きに渡る騎手人生、お疲れさまでした。
新年に大晦日だけどニューイヤーズデイの話
今日は元日。すなわちニューイヤーズデイ。
昨年の話になってしまうが、前日大みそかの出来事だし、「ニューイヤーズデイ」の話なので、ご了承願いたい。
1年の最後の日である大晦日。翌日がニューイヤーズデイであるからか、ニューイヤーズデイ産駒が園田と大井で行われた重賞を勝利と大活躍をした。
ニューイヤーズデイといえば、アメリカ競馬史にいろいろな意味で名前を残したマキシマムセキュリティの父親。南関東での話になるが、昨年の産駒勝ち上がり率が25%を超える好成績を残した。全日本2歳優駿を勝ったミリアッドラヴの父もニューイヤーズデイであるし、昨日勝った重賞もともに2歳戦と、2歳時から活躍できる仕上がりの早さもある。
このことからも、今後も期待の持てる種牡馬といえよう。
ここからは、東京2歳優駿牝馬を勝ったプラウドフレールの話も。
プラウドフレールは父ニューイヤーズデイ×母の父ネオユニヴァースという血統。この組み合わせだとBoulevardの牝馬インブリードが成立する。
Boulevardはバレークイーンなどを輩出した名牝系Sunny Gulfの出。活力ある牝系のインブリードで狙ってみたい配合でもある。
また、プラウドフレールは兄ギャルダル、姉ミスカッレーラに続いての重賞勝利。それぞれ父が異なるのだから、母スリーメロディーの繁殖能力はかなり優秀といえる。
昨年は個人的に大変なことがあった年であった。
その点で、いろいろな方にお世話になった年でもあった。
ニューイヤーズデイから書いた本年。皆様、よろしくお願いいたします。
東京ダービー反省会
JRA交流となって初の東京ダービーが終わり、SNS上では様々な意見が噴出している。
売り上げは上がった。ただ、これまで同時期に行われていたJDDに比べたら下がっている。
南関東や各地方競馬場に頂点を決めるレースは必要。だけど、国際化の中で狭いコミュニティのみにとどまるのはもうできない。それでも、他の地区で「ダービー」の名称を剥奪するのはやりすぎでは。
南関東以外の地方にも強い馬が入るようになるのでは。いや、そもそも地方に馬を預ける人がいなくなるのではないか。
などなど。
正直正解はない。
個人的な感想でいえば、暗澹たる気分になったというのが正直なところだ。
何しろ3コーナーでほぼJRA勢い3頭の争いに絞られてしまったのだから。
勝ったラムジェットは6馬身差の圧勝。力の差を思い知らされるには十分すぎる。
そうなると、悲観的になってしまう。
東京ダービーを勝つために南関東へ入れる際にメリットは何かあるの?
JRAでデビューさせてで十分ではないか。
JRA勢で仮に東京ダービーに出られなくても、他に選択肢がある。
南関東の場合、他の選択肢はネクストスターや優駿スプリントとなってしまうが、それは逃げだし、賞金の旨味はあるのか(それでも地方馬主にとっての道はここしかなく、だからダノンレジェンドが種牡馬として大大人気になるのは流れから必然ともいえる)。
他地区も上位に入ればともかく、そうでないなら輸送や賞金の低さなどからやはり旨味がない。
結局、JRA勢の草刈り場となる、或いは、資金力のある馬主のみが得をする結果になってしまうのではないか。
結局、地方競馬が衰退する未来しか見えなくなってしまった。
ただ、暗い話で終わらせるのは嫌だ。
それに、やられっぱなしでは悔しい。
だから、どうやって地方からJRAと互角に渡り合える馬を「複数頭」(これが大事)育てることができるか考えなくてはならない。
正直設備は劣る。技術はともかく人材の量も不足している。
正直難しい。どうすれば改善できるかも難しい。
競馬に正解はなく、強い馬づくりに正解はないのだから、結局は「正解はない」の言葉に帰結してしまう。
けど、努力をしなくてはいけないのも事実だ。
それでも、今回の東京ダービーで、少しの希望はあった。
それは、高知から出走したシンメデージーだ。
前回の記事で「一番意義があるかもしれない」と書いたが、JRA勢1頭に先着して地方馬最先着の4着なのだから、本当に意義があった。
15年前の高知競馬を見ていた人で、15年後この結果を予見できた人などまずいない。何しろ、当時の高知競馬は、高知優駿の1着賞金が27万円という時代だったのだから。
そんな高知競馬は、グランシュヴァリエやら一発逆転ファイナルレース等企画レースのヒットやらナイター開催やらで売り上げが改善。そして、馬のレベルまで向上しているという好循環にある。高知の古馬戦線で一、二を争うユメノホノオやガルボマンボは高知の生え抜きだ。そしてシンメデージーの快走。
本当に関係者の努力には頭が下がる。
だから、地方競馬全体でもやり方次第で強い馬を定期的につくれるようになるのではないか。
そのためには、まず地方競馬全体を盛り上げないといけないのは確かだ。
だから、多くの競馬ファンに、地方競馬も見てもらいたい。
これでも東京ダービーなの
先日、このように聞かれて、言葉に詰まってしまった。思いつかなかったからだ。
個人的には歴史的意義等踏まえて「東京記念」と声を大にして言いたかったのだけど、どうやら主催者はそう思っていないらしく(S1からS2に格下げするのだから)、言えなかった。
そうなると、大井記念になるのかもしれないけど、違和感が残る。
結局、なくなってしまったのだ。
少なくとも、東京ダービーというレースは、3歳馬限定であるにせよ、南関東所属馬最強を決めるレースであった。南関東競馬に携わる者が一番勝ちたいレースであり、出るだけでも名誉のあるレースであった。
それが、ダート競馬改革で、単なる賞金の高い交流重賞となってしまった。
昨年の東京ダービーの日、とある大井の調教師はこう言っていた。
「夢がないよね」と。
ダート競馬改革の意義自体は理解できるし、少なくともダートクラシック路線の整備をしなくてはいけなかったのは事実だ。
ただ、それが東京ダービーというレースを売り渡し、あげく他地区に「ダービー」の呼称を使えなくしてまでするべきだったかというと、疑問が残る。
このように書くと、南関東の馬が勝てないから批判をしているのようなことを言われるが、違う。
たとえ南関東の馬が優勢であっても、異を唱えていた。
これでは、自分たちの一番を決めるダービーではない、と。
少なくとも自分は、南関東の馬が勝っても、以前ほど喜べない。
ただ、それでも現実として交流重賞としての東京ダービーは行われるし、批判ばかりしても始まらない。
たとえ単なる交流重賞となり果てたとしても、ダービーであるはずなのだ。
関係者にとっては、今までの東京ダービー優勝と同じ喜びではないだろうけど、別のものすごい喜びがあると思う。いや、あるようにしなければならないが正解か。
ともあれ、交流重賞化元年の東京ダービー。このような趣旨から、自分は地方所属馬を本命にし続ける。毎年的場文男騎手を本命にしていたように。
今年の場合、今の大井の馬場が内優勢なので、最内枠で先行できて血統的にRobertoが入っているポンドボーイとか、母マニエリスムで前に行くティントレットあたりか。
個人的には「ホッカイドウ競馬能検初日の第1レースに出てくる角川厩舎の馬は走る」の格言を信じてマコトロクサノホコにしたいのだが(某POGで指名したので)。
将来性あるフロインフォッサル、内枠で森泰斗だしシシュホスも。
それと、高知から出走してきてくれたシンメデージー。今回の東京ダービーで一番意義があるのは、同馬の出走かもしれない。
初年度からうまくいくわけないし、地方勢の大将サントノーレや南関東の期待馬ダテノショウグンの怪我といった予想外のことも起こった。羽田盃馬アマンテビアンコの怪我による離脱もあった。
おそらくこの世代のダート最強馬の出走もない。
課題は多々ある中でのスタート。
これでも東京ダービーなのか、と思うのと同時に、それでも東京ダービーなのだ。
できるだけ地方競馬にとってもいい方向に行くよう、静かに見守る。
5年後の我々へ
「5年前の今日、何をしていましたか?」
昨日受けた研修で、よくあるような問いを投げかけられた。
5年前は、平成最後の日であった。
5年後どうなっていたいのかという話なので、平成最後の日であったことに意味があるのかはわからないけど、たまたまとはいえ意味めいたものを感じる。
そして、私は、5年前の昨日、以下のブログを書いていた。
keiba-gyoseisyoshi.hatenablog.com
要約すれば、天皇賞・春で初めてディープインパクト産駒が勝ったこと。ぶっつけでの天皇賞・春が当たり前になってきたこと。そして、競走馬の生産者の思いは変わらず残ること、という内容だ。
このブログから5年。
今年の天皇賞・春を勝ったのは、非社台グループ生産馬であるテーオーロイヤルであった。それも、ダイヤモンドS→阪神大賞典→天皇賞・春とレースを使って。
思えば、この5年で競馬界は少し変わった。
誰もが想定していなかったコロナ禍は、競馬界にとって、ネットでの購入が大幅に増え、売り上げが上がるという利益をももたらした。
同時に、無観客競馬の開催。その中で生まれた無敗の三冠馬コントレイル、無敗の三冠牝馬デアリングタクト。
ウマ娘ブームという外的な要因もあった。ただ、5年前、すでにウマ娘プロジェクトはあったわけで、その当時ブームになると誰が予想したであろうか(リリース延期ばかりで立ち消えになるだろうと思われていたのに)。
生産現場でいえば、ディープインパクト、キングカメハメハの二大種牡馬の死去。
改めて考えてみると、アフターディープ・キンカメ時代となり、レースの性質が変わったようにも思える。それが現れたのが、今年の天皇賞・春であったのかもしれない。
前述のように、今回のテーオーロイヤルは使い詰めでの出走だった。
にもかかわらず、連戦の疲れは感じさせず、むしろ1戦ごとにパワーアップすらしているように思えた。
日高対社台グループの構図にするのはステレオタイプに過ぎるが、ぶっつけで本番というローテーションは、施設が充実している外厩を備えた社台グループが得意とするものであった。
ただそれは、休み明けでも(休み明けの方が)走るディープインパクトの血があってこその作戦だったのかもしれない。あるいは、一戦での消費が激しい馬向きの作戦であったのかもしれない。
個体差があり、すべてがそうとは言えないが、日高の馬なら、レースを使って強くするというのも一つの方法であるのだろう。
もちろん、テーオーロイヤルに素質があり、今回のローテーションに向く体質だったというのはあるにせよ。
そして、もう一つ、レースの性質が変わったと思うことがある。以前より道中溜めて爆発させるという時代ではなくなったきたのではないだろうかと。
そこには、前が止まらない高速馬場の影響もあるが、何よりディープインパクト(というかサンデーサイレンスか)の血が薄れてきたことにあると思う。
それにもかかわらず、長年続いてきた「溜めて爆発」させようという騎手心理が働いて、結果的に持続的なスピードを持った先行馬にやられるというレースも見られるようになった。
さらに、ミスプロ系のみならず、ノーザンダンサー系の復興、はたまた2歳の時期なら持続的なスピードに富んだダート血統の台頭というようなものも見られるようになりつつある。
代わりに切れが要求されるレースの場合は、より軽く切れやすい牝馬も勝負になるという現象も起きている。ダートでも以前より牝馬の台頭が目立ってきているのはおもしろいが。
これらの事実は、おそらく一つのものが原因ではないと思う。
社台グループ以外の育成能力の向上、牝馬でも牡馬と変わらないほどの強さを持つ馬を育てられる技術、環境、あるいは偶然の要素もあるのかもしれない。
様々な要素をひっくるめて、次のレースでの勝利に結びつける努力をしなくてはいけない。
冒頭の問の後に発せられた問、すなわち、5年後はどうなっているか。
種牡馬コントレイルの時代になっているのか。はたまた種牡馬戦国時代となるのか。
ダート改革による変化は。
世界の中で日本の競馬の立ち位置はどうなっているのか。
夢を描くことはできるが、実現するには実行しなくてはいけない。
5年後の我々へ。
描いた夢はどうなりましたか。